基本に立ち返って 最近のツィッターから 

おはようございます。
このツィッター元気が出ます。
滞在中のアイルランド、ダブリンは、今午前7時17分です。連続ツイート第649回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、このところ思っていること。
(1)中国に精しい加藤徹さん(@katotoru1963)に聞いて、なるほどと思ったことがある。中国政府は、周知のように、人権についての態度がひどい。そこを我々は非難するわけだが、ところが、ほとんどの中国人にとって、政府というのは関係のない存在だというのである。
(2)そもそも、中国には選挙なんかない。政治にかかわるのは、共産党員だけれども、共産党員になっているのは、全人口の確か20人に1人でしかない。だから、そもそも政治に関わるということがないから、みんな、むしろ勝手に生きているというのである。
(3)今や世界で第二位の経済大国に民主主義がないことは困ったものだし、人々が「皮肉のスタンス」に陥ることも望ましくはない。しかし、自分たちの人生に「国」は関係ない、邪魔さえしてくれなければいい、俺たちは自分で勝手に生きていくというたくましさは、一つのインスピレーションである。
(4)実際、中国を訪れて感じるのは、人々の印象が、日本よりもむしろアメリカに近いということである。政府はひどい。しかし、人々は勝手にたくましく生きている。そもそも国に頼ろうという発想がない(一部の共産党の特権階級を除いては)。その結果、個人としては日本人よりも強くなっている。
(5)翻って、日本では、明治以来の民主主義があり、それなりにまともな政府があり、また伝統的な「お上」の意識もあって、国に頼る、国になんとかしてもらう、という傾向が強かったように思う。早い話が、「文部科学省が悪い」と言うということは、文部科学省になんとかしてもらおうということ。
(6)政府の批判をするということは、本来、政府というのはもっと賢く、国民のためを思って政策をするものだという「期待」があるからであり、それは民主主義においては望ましい期待ではあるが、一方で、日本人のメンタリティの中に、集団主義、お上意識を植え付けたことも否定できない。
(7)日本の教育システム、学力観、大学のあり方が陳腐化していることが、グローバル化の下での人材競争、文化の混じり合いの現場を見ている人にはもはや明らかな今日、そろそろ、日本人の中にも、国には頼らない、文部科学省には期待しない、自分で勝手にやる、という機運が芽生えてよいだろう。
(8)国に対するスタンスは難しい。本来国家はフィクションであって、一人の人間としての実存の方が大きい。一方国というのは必要な擬制でもあり、皮肉のスタンスに陥ることは避けたい。国政に対する健全な批判は大切であるが、一方で、一人の人間の生は、本来国と関係なく構築しうる。
(9)日本人は、国に対する期待感とか、依存心を、もう少し個人よりに引き戻した方が、元気になるだろう。文科省とか、大学とか、制度的なものと無関係に、自分の学びを構築すること。今は、それが簡単にできるんだから。一人で夢中になって走っているうちに、気づけば国も変わっているさ。
以上、連続ツイート第649回「国に頼るな、自分でやれ」でした。
 そうなんです。東北支援薪プロジェクト(桃源郷ハワイからの贈り物)はこの発想からスタートしたものなんです。「勝手に」 「手弁当で」 これが基本コンセプトでした。思い出しました。自分のやりたいことを明確化して、がんばろっと。
今日も素敵な出会いと感動を。

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